redhousepainter
1. 兆 (きざし) [INSIGHT]
Q:「何かが変わる、新しい何かが始まる」を覚えた瞬間、ムーブメント、あるいは音楽作品。A:大きな視点で言えば、やはりストリーミング・プラットフォームを媒介に、2010 年代を経て熟成されたスペイン語圏/ラテン系音楽がついにスポットライトの真ん中へと躍り出た、ということになるだろう。
2023年のコーチェラ・フェスティバルでは、Bad Bunny(バッド・バニー)が一切の私心なく、ステージ映像を通してラテン音楽の歴史と文化を振り返った。そして、数日後にはスーパーボウル・ハーフタイムショーのメインアクトとしての登壇を控えている(※1 本稿は、2026年2月のハーフタイムショー開催前に執筆されたものである)。
この 2 つのパフォーマンスを一本の線で結んで考えるなら、少し大げさに言っても、これはラテン音楽にとって「50 年に一度の大転換」と呼べる出来事かもしれない。
米国本土では、ラテン系移民に対する差別も存在しており、その深刻さは黒人に対する差別以上だった時代もあった。かつてニューヨークでは、企業が採用条件として表向きに「ラテン系不可」と書くことができなかったため、「身長170センチ以上」といった条件を設け、代用していたケースが少なくなかった。ラテン系移民の多くは小柄であるため、結果的にふるい落とされてしまう。これは巧妙で、かつ目に見えにくい差別の手法だった。
また、プエルトリコは一見すると小さな島に見えるが、実際には世界中の人々の日常生活と深く関わっている。避妊薬の臨床試験が最初に行われたのは同国で、主な被験者はプエルトリコのいわゆる低所得層の女性たちだった。
Bad Bunny の真に貴重な点は、大きな成功を収めた後もなお、プエルトリコという土地にしっかりと根を下ろしているところにある。彼の作品の随所には、プエルトリコ、ラテン系の人々だけが瞬時に理解できる暗号のような要素が散りばめられている。(それは例えば、私たち中国人がシア・ジーユーの楽曲「お姉さん」を聴き、そこにサンプリングされた90年代の象徴——ヤン・ユーインの「そっとあなたに伝えたい」の歌声を耳にした瞬間、“太陽がどれほど高いか聞かないで、私の真実を教えてあげる”というフレーズと共に、中国全土で共有されているあの時代のノスタルジーに胸を締め付けられる感覚に近い)
たとえば『la mudanza』の中で、彼はこう歌っている。
「Hostos の遺体が祖国に戻るその日には、どうか俺の歌を流してくれ……」
私のような部外者には、正直なところ何を指しているのかまったくわからない。GoogleやGPTで調べて初めて、ここで言う「Hostos」とは、プエルトリコの思想家エウヘニオ・マリア・デ・オストスを指しているのだと知る。彼は生涯を通じてプエルトリコのために奔走し、最終的にはドミニカ共和国に定住し、その地で生涯を終えた人物だった。
そして彼の遺言は、こうだ。
「プエルトリコが独立を果たしたその日に、私の遺体を故郷へ戻してほしい」
「Hostos の遺体が祖国に戻るその日」というのは、すなわちプエルトリコが真に独立を果たすその日を指している。
「どうか俺の歌を流してくれ」という一節は、実のところ Bad Bunny が自分自身を Hostos と重ね合わせている表現でもある。
しかし、そこにはどこか皮肉な響きもある。もし Bad Bunny がその時代まで生きているのなら、彼ほどのスーパースターであれば、わざわざ「曲を流す」必要などなく、自らステージに立って歌えばいいはず。
それでもなお「曲を流してくれ」と歌うのは、もしかすると彼がここで、「自分が死んだあとになって初めて、この願いは実現するのかもしれない」という暗示を込めているからではないだろうか。
ここまで強烈で、覚悟を感じさせる Bad Bunny だからこそ、そのメッセージはプエルトリコにとどまらず、他のラテンアメリカ諸国にも深い共鳴を呼んでいる。
それらの国々は、形式上は主権国家でありながら、現実には常に大国の影響下に置かれてきたという共通の歴史と現状を抱えている。
2. 韻 (のこる) [ENERGY]
Q:熱量だったり一体感などに、心底圧倒された 2025 年の現場光景。A:2019 年に「U2」のライブを観て以降、「ライブは必ずしも音源を超えるものではない」と感じるようになり、ライブ体験そのものに対しても、より肩の力を抜いた向き合い方になった。
「my bloody valentine」の開演前も、当初は後方で静かに眺めるつもりだったが、考えてみれば、開けた屋外で彼らを観られる機会など、ほとんど一期一会に近い。そう思い直し、“ケヴィンばあちゃん”がステージに上がる前、私は粘りに粘って最前列まで辿り着いた。
ステージ上にマーシャルやハイワットのアンプが何列もずらりと積み上げられているのを目にした瞬間、耳元でロックを愛する15歳の少年が、次々と暴言を吐いているかのようだった。
「これだよ、これこそがロックだろ! ロックは決して屈しない! ケヴィンばあちゃん、林宥嘉に“余裕しゃくしゃくで自在に鳴らす”ってどういうことか教えてやってくれ!」
私はその 15 歳の少年に声をかけたくなった。
「90 年代には、『Dark Magus』みたいな天地を揺るがすような伝説的なライブはなかったかもしれない。でも、90 年代は音楽に対して誠実だっただろう? 音楽の足を引っ張ったわけじゃないだろう? 俺たち 90 年代が、ロックにもう10年分の命をつないだんじゃないか!」
その夜、私は最前列から少しずつ後ろへ下がり、距離を変えながら「my bloody valentine」を観続けた。
「to here knows when」が鳴り響いた瞬間、ゴッホとモネが生身のまま中環の夜空に降り立ったかのようだった。
「my bloody valentine」はその 2 人のちょうど真ん中に立ち、どちらを持ち上げるでも、どちらが上ということもなく、ただ並び立っていた。
3. 拓 (ひらく) [PERSPECTIVE]
Q:年間を通して出会ったあらゆる表現の中で、視野を広げてくれたり、良き刺激もらったもの。A:田中勝則は、世界各地のポピュラー音楽に精通した一流の音楽評論家。日本で「ブラジル音楽のナビゲーター」と言えば、長年に渡り音楽ファンから敬愛されてきた存在として、田中勝則と中原仁の 2 人の名が挙げられる。
田中勝則は 1985 年、旧世代のサンバ音楽家たちと出会い、彼らが 1970 年以降、実に15年間ものあいだ新作を録音していなかった事実を知る。そこで彼は、自ら制作に乗り出すことを決意した。当時はまだ日本のバブル経済が崩壊する以前で、田中は銀行から資金を借りてアルバムを制作した。
1 枚目のアルバムの借金を返済し終えると、また次のアルバムのために借金をする——そうした循環を繰り返しながら、1986年から89年にかけて、田中勝則はブラジルでサンバ音楽のアルバムを9枚録音した。
2025年、66歳となった田中は、生涯に渡る愛情と学びを結実させ、『ブラジル音楽歴史物語』を書き上げた。書名からはブラジル音楽の歴史を紹介する内容のように思わされるが、その重心はむしろ、1920年代から1960年代にかけての汎ラテンアメリカ(米国、メキシコ、キューバ、ペルー、ブラジルなど)における音楽の交錯に置かれている。
もし60年代、そして「ビートルズ」以前のポピュラー音楽の歴史に、日本の漫画『ONE PIECE』で言うところの「空白の◯◯年」が存在するとするならば、田中勝則はまさにロビンのような存在。ラテンアメリカ各地に散在していた「歴史の本文」を集め上げ、ジョイボーイがイムと対峙していた時代を現代に蘇らせてみせている。
66歳という年齢に至り、あらゆるものが融け合うように腑に落ちたかのように、書中にはおおらかで興味深い視点が随所にちりばめられている。たとえばブラジルのアフロ系宗教について、田中勝則は次のように記した。
「……ブラジルに渡ったアフリカ系移民は、カトリックとの習合を通じてカンドンブレなどのアフロ系宗教を生み出した。そこでは、自らの宗教観を保持しつつ、本来は祭祀のために用いられていた音楽や楽器もまた、今日まで受け継がれてきたのである。」
それに続いて、筆致は鮮やかに転じ、
「この点において、米国とブラジルは決定的に異なる。米国のプロテスタント教会では、あらゆるアフリカ系楽器の使用が禁じられていた。そのため、米国のゴスペル音楽では声楽がきわめて発達した。教会でアフリカの楽器を使うことを許されなかった米国黒人にとって、唯一保持することができたアフリカ性は〈声〉だったのである。アレサ・フランクリンの歌声は、まさに米国黒人文化の独自性を体現していると言えるだろう。」
ブラジルのアフロ系宗教から、これほど自然で滑らかに米国のゴスペル音楽へと接続してみせる——これこそが、最上級にして胸を打つ音楽の文章と言える(音楽学者ではなく、一人の音楽ファンの手によるものだからこそ)。
4. 伴 (あいぼ) [TOOL]
Q:ハードな現場、日常、執筆など支えてくれたり、「一緒に戦ったな」と思う2025年の「相棒」。A:Switch 2 と「マリオカート ワールド」。
実に 11 年ぶりとなる「マリオカートシリーズ」の正統続編。「ジャンプして壁に張り付く」といったハードコアな操作要素も追加されたが、コースとコースの間を一直線につなぐ構成や、アイテムの重要性を際立たせる「サンシャイン砂漠ステージ」「バブルフィッシュ・ステージ」といったステージからも分かるように、任天堂は依然として“楽しさ”と“ランダム性”を最優先に置いている。
24人によるチーム制オンライン対戦では、たった一発の赤甲羅で 1 位から 15 位まで一気に転落することもある。混沌としていて、とにかく楽しい。
5. 芯 (どだい) [CONTINUITY]
Q:時代の激流の中で、これだけは守り抜いた「自分なりのルーティン」。A:「音楽は簡単ではない」ということ
一年の余韻を胸に、私たちは2025年の足跡を振り返ります。本プロジェクト『Traces』には、国境や言語を越え、アジアを横断する音楽家とその歩みを支える共鳴者たち、総勢30名超が集結しました。
5つの漢字に託された、私たちが大切にしてきたもの。
個々の記憶に深く宿るぬくもりをアーカイブし、リスナーや読者へと届けていく。
The Artists:
「響、景、航、触、律」
The Pro-Voices:
「兆、韻、拓、伴、芯」
正解のない、不安な時代だからこそ。
この言葉たちが、小さくともしなやかな「可能性」の種となることを願って。
分断を越え、新しい時代の「輪郭」を、共に手繰り寄せるように。
5つの漢字に託された、私たちが大切にしてきたもの。
個々の記憶に深く宿るぬくもりをアーカイブし、リスナーや読者へと届けていく。
The Artists:
「響、景、航、触、律」
The Pro-Voices:
「兆、韻、拓、伴、芯」
正解のない、不安な時代だからこそ。
この言葉たちが、小さくともしなやかな「可能性」の種となることを願って。
分断を越え、新しい時代の「輪郭」を、共に手繰り寄せるように。
Curation:Zing
Edit:neciak
Design:10000
Edit:neciak
Design:10000
音楽カルチャーメディア「音潮在彗星再来時」主宰
textur3 2024-2026